EKIMAE塾「赤ちゃんの微笑みに秘められた謎」

開催:2019年3月31日 於ひかりプラザ501号室

講師:東京学芸大学名誉教授で当国際協会副会長の高橋道子さん

演題:「赤ちゃんの微笑みに秘められた謎」

 

 第35回EKIMAE塾を3月31日に開催しました。豊富な写真・図を用いた講演のあとの懇親会で質疑応答や聴講者の経験談などを交換し、皆さん知的刺激を受けながら、たいへん和やかで有意義なひと時を過ごしました。

 なお、EKIMAE塾は2007年の第1回開催以来35回にわたって開催してきましたが今回をもって終了となります。

 高橋さん(以下「先生」と記す)は、東京教育大学の大学院生時代から「赤ちゃんの微笑み」をテーマにした研究を行い、心理学の博士号を取得されています。赤ちゃんについての発達心理学の第一人者ですが、高橋先生の研究されている発達心理学は、色々な実験・観察をしながら科学的に実証していく分野です。

 

高橋先生の講演の骨子を紹介します。

Ⅰ.なぜ微笑みに魅せられたのか ~出会った人たちとその思想~ 

・最初に高橋先生が、聴講者一同に生後5カ月の赤ちゃんが微笑んでいる写真を見せて、写真を見ている聴講者の表情を見つめていました。先生は「皆さんは赤ちゃんと同じように微笑んで写真を観ている」と言われた。赤ちゃんの微笑みの表情は、目の前にいる人との距離を縮める力、人を引き寄せる力をもっており、大人になっても人と人のコミュニケーションに重要な役割をもつと思える。

・赤ちゃんが親と相対している時に見せる微笑、表情、発している声は、“何か求めている/何か伝えたいことがある”ということを表わしている。

・改めて研究生活を振り返ってみると、若いときに心に刻まれた事柄は、その後の自分の考え方に脈々と流れ、その流れの中に他人から得たものが入り、今の自分に活きていることを感じている。そういう意味では、仕事にせよ人間関係にせよ、人と出会って他人の話を聴いたり自分が語ったりすることで自分が求めていることに出会ったときには、自分の中で更に触発されるものがある。

・研究者として成果を挙げられた背景に色々な人との出会いがある。研究模索しているときに人と出会って思わぬ貴重な情報が入ってくることがあり、不思議に感じる。人と語り合う中で、その人の具体的な研究データよりもその人がもっている研究の背景にある思想が大きな参考になり、刺激を受ける。

・東京教育大学の学生のときの出会いで大きな影響を受けたのは解剖学が専門の三木成夫先生。「生命の起源からの生命記憶が身体に刻み込まれている」の話に刺激を受け、その中の生物の進化のプロセス、ヒトの成長のプロセスに大きな興味をもった。

・もう一人、同大学の大学院で大きな影響を受けたのは比較心理学が専門の藤田統先生。藤田先生の研究は、上記三木先生が生物の「形態あるいは構造」を主体とした研究に対し「行動」を主体とした研究で、初期行動・初期経験が後にどのように行動に影響を与えていくか、エソロジー(比較行動学)をヒト以外の色々な動物を使っての研究。それぞれの動物がそれぞれの環境の中で何を使ってどのように生存してきたか、その結果として何が残って今ある姿になったか、という発達の過程を研究していた。その考えを人と人との関係の形成に適用したのがBowlby博士によるアタッチメント理論(親子の結びつきの起源)であり、微笑を研究テーマとするうえで大きな刺激を受けた。

・研究においては、HowとWhyの2つの疑問=How/Why Questionが重要な視点になる。How Question(伝統的心理学)は行動のメカニズムで、微笑みを例にとれば「どのようにして微笑みは発達するのか?」であり、Why Question(生態学的アプローチ)は行動の機能で、「なぜ微笑むのか?」である。

・人にとって特有な行動である微笑みの機能について考えてみる。電車の中で赤ちゃんに微笑まれると、人は思わず微笑み返してしまう。微笑みを通してコミュニケーションが始まる。大人どうしでもそうである。人との絆をつくるための大切な手段の一つとして微笑みがあるのだと思う。

 

Ⅱ.赤ちゃんは何に対して微笑むのか

・生後2カ月になると赤ちゃんは人の顔を見て微笑む。では、赤ちゃんにとって人の顔とは何なのか。目鼻口が顔らしく配置された大人の顔の模型と目鼻口がデタラメに配置された模型、目鼻口がない顔の模型と実験者(生きた人間だが模型に合わせて無表情)の顔を3、5、7カ月の赤ちゃんに見せて微笑むかどうかの実験をした。その結果、赤ちゃんは顔らしい配置になっていれば、模型(立体/平面)・実験者に係わらず、大人の顔に対して微笑む。特に3カ月の赤ちゃんにこの傾向が著しい。

・それでは、赤ちゃんにとって顔とは何か。目だけ、鼻だけ、口だけの顔、それら全体がある顔、何もない顔の模型をそれぞれ見せる実験をした。顔全体と目だけの顔には微笑むのに対して、他の顔には微笑まなかった。この実験から「目」が重要であり、それが「顔」と認識するための条件であることが分かる。このことは、大人でも目と目が合うことがコミュニケーションの基本であることに繋がっていくのではないか。

・次に、顔の中の目の位置と大きさを変えた模型を使って実験すると、目の位置が下に行くほど微笑みが弱くなった。一方、目を大きくすると強く微笑む。エソロジーの研究でも特徴を「正常を超えて」際立たせると強く反応することが「超正常刺激」として知られている。

 

Ⅲ.微笑はいつから始まるのか

・出生後まもなくから、外からの刺激がなくても赤ちゃんには微笑みの表情が現われる。これを自発的微笑と呼ぶ。また、自発的微笑が最もよく見られるのはステイトⅡの「レム睡眠」の状態であった。ここから、赤ちゃんには微笑みの形態が生まれつき備わっているといえる。

 

Ⅳ.自発的微笑と社会的微笑

・上で述べたように、赤ちゃんの微笑みの表情は出生直後から存在している。その後、人の顔の目を見つめ、微笑むようになる。これが社会的微笑である。微笑んだときに周りの人が微笑み返してくれることを通して、赤ちゃんは微笑みの意味を学び、「人なら誰に対しても微笑む」時期を経て、「よく知っている人に微笑む」ようになる。

・このようにして微笑みが人と人との繋がりに発展していき、人との関わりを円滑にしていく。微笑みは生涯を通して、コミュニケーションの手段として大事な役割をもつことがわかる。

 

Ⅴ.微笑の発生をどこまで遡れるか

・出生直後から現れる行動は、胎内で準備されているはずだ。とすれば、すでに胎内で微笑みが始まっているのではないか。では、胎内での行動をどうやって確認するか。

・その方法として、通常より早く生まれてきた未熟児の赤ちゃんを観察し、微笑の表情がいつ現れるかを調べた。その結果、在胎26週くらいで微笑むことがわかった。

・ただ、これは早期に生まれてきた赤ちゃんを観察した結果から得たものなので、赤ちゃんの発達環境が胎内と胎外とで違うことを考えると、胎児の実際の表情を直接見たい。当時の超音波エコーの性能では観察することが出来なかったが、2000年代になって4次元超音波装置によって胎児の微笑みの表情を確認することができるようになった。ヒトは、誕生するずっと以前から、母の胎内で微笑んでいるのだ。

 

Ⅵ.おわりに   

一連の研究から、赤ちゃんの微笑みは母親の胎内で準備され、生まれてすぐ表情として現れる。この微笑みは「わたしはここにいるよ」という周りの人へのメッセージであると同時に、それを受け止めた人からの愛情を受け取る手段と思える。表情形態としてまず備わっていた微笑が、人との関りを円滑にするコミュニケーションの一つの形態へと発達し、微笑に意味が付与されるためには、意味あるものとして赤ちゃんの微笑を受けとめる大人の存在が欠かせない。言葉によらないコミュニケーションとして重要な役割をもっている微笑を、異文化間交流の場でも重視したいものである。

 

以 上