( だい ) 7の ( とびら )

1333 ( ねん )戦争 ( せんそう ) でおきた 火災 ( かさい )武蔵国分寺 ( むさしこくぶんじ )( ) けてしまいました。


 奈良時代 (  ならじだい )( ) わって、 平安時代 ( へいあんじだい ) (794 ( ねん ) -1185 ( ねん ) )が ( はじ ) まりました。 ( みやこ ) が、 奈良 ( なら ) から 京都 ( きょうと ) (*いまの 京都府京都市 ( きょうとふきょうとし ) )に移ったからです。

 平安時代 (  へいあんじだい ) には、 各地 ( かくち ) の「 国分寺 ( こくぶんじ ) 」のようすも ( かわ ) っていきます。 聖武天皇 ( しょうむてんのう ) がつくった「 国分寺 ( こくぶんじ ) 」のしくみが ( おとろ ) えていきました。 各地 ( かくち ) の「 国分寺 ( こくぶんじ ) 」は、 ( すこ ) しずつ、お ( てら ) としての ( ちから )( いきお ) いを ( うしな ) っていきました。

 武蔵国分寺 (  むさしこくぶんじ ) も、 ( おな ) じように ( かわ ) って、 ( いきお ) いを ( ) くしていったと ( かんが ) えられています。それでも、 人々 ( ひとびと ) は、 武蔵国分僧寺 ( むさしこくぶんそうじ )( ) かれていたとされる 薬師如来像 ( やくしにょらいぞう )熱心 ( ねっしん )( おが ) みつづけていたようです。 薬師如来像 ( やくしにょらいぞう ) は、 人々 ( ひとびと )病気 ( びょうき ) をなおしてくれる ( ちから )( ) つと ( ) われる 仏像 ( ぶつぞう ) で、 ( おお ) くの 人々 ( ひとびと )信仰 ( しんこう )( あつ ) めていました。

 次 (  つぎ )鎌倉時代 ( かまくらじだい ) (1185 ( ねん ) -1333 ( ねん ) )が ( ) わりをむかえるころ、 日本各地 ( にほんかくち )戦争 ( せんそう )( ) こります。 武蔵国 ( むさしのくに ) でも ( おお ) きな ( たたか ) いがありました。この ( たたか ) いのときの 火災 ( かさい ) で、お ( てら )( たて ) ( もの )( ) けて ( ) くなってしまったと ( つた ) えられています。1333 ( ねん ) のことです。 上野国 ( こうずけのくに ) (*いまの 群馬県 ( ぐんまけん ) )の 新田 ( にった ) 義貞 ( よしさだ )( ぐん )武蔵国分寺 ( むさしこくぶんじ )( ) をつけたとされています。

 この ( おお ) きな ( たたか ) いがあった 場所 ( ばしょ ) は、 府中 ( ふちゅう ) ( )分倍河原 ( ぶばいがわら ) です。いま、ここには「 分倍河原 ( ぶばいがわら ) 古戦場碑 ( こせんじょうひ ) 」が ( ) っています。この ( たたか ) いのあと、 鎌倉幕府 ( かまくらばくふ )( ほろ ) びました。

( だい ) 8の ( とびら )

武蔵国分寺 ( むさしこくぶんじ )薬師如来像 ( やくしにょらいぞう ) は、 国分寺 ( こくぶんじ ) 薬師堂 ( やくしどう )( ) かれています。


 その ( )武蔵国分寺 ( むさしこくぶんじ ) は、 ( もと ) のように 再建 ( さいけん ) されることはありませんでした。 時代 ( じだい ) が変っていく ( なか )日本各地 ( にほんかくち ) の「 国分寺 ( こくぶんじ ) 」も 歴史 ( れきし ) から ( ) えていきました。くわしいことは、わかっていません。「 国分寺 ( こくぶんじ ) 」があった 場所 ( ばしょ ) さえもはっきりとはわからない「 ( くに ) 」もあります。

 お ( てら )建物 ( たてもの )( ) けてしまった ( つぎ )( とし )新田 ( にった ) 義貞 ( よしさだ )寄進 ( きしん ) (*お寺などにお ( かね )( もの )( おく ) ること)により、 僧寺 ( そうじ )金堂 ( こんどう )( ) っていた 場所 ( ばしょ )( ちか ) くに、 ( あたら ) しいお ( どう )( ) てられたと ( つた ) えられています。このお ( どう ) に、 人々 ( ひとびと ) は、 ( おが ) んでいた 薬師如来像 ( やくしにょらいぞう )( ) きました。この 薬師如来像 ( やくしにょらいぞう ) は、 火災 ( かさい )( ) こったとき" 自分 ( じぶん )( ) げたのだ"という 伝説 ( でんせつ ) がのこっています。 人々 ( ひとびと ) は、このお ( どう )薬師堂 ( やくしどう ) (* 薬師如来像 ( やくしにょらいぞう )( ) いている、お ( てら )建物 ( たてもの ) )と ( ) ぶようになりました。

 この 薬師如来像 ( やくしにょらいぞう ) は、 国分寺 ( こくぶんじ ) 薬師堂 ( やくしどう )( ) かれています。 一年 ( いちねん )一度 ( いちど ) だけ、 毎年 ( まいとし ) 10 ( がつ ) 10日 ( とおか )( ) ることができます。 (*なお、この 薬師 ( やくし ) 如来像 ( にょらいぞう )正式 ( せいしき ) には「 木造 ( もくぞう ) 薬師 ( やくし ) 如来 ( にょらい ) 坐像 ( ざぞう ) 」といい、 ( くに )重要 ( じゅうよう ) 文化 ( ぶんか ) ( ざい )指定 ( してい ) されています)